マヌエラの由来
revised 2003.9.21
2003.11.1

戦前から戦中にかけて中国大陸で名を馳せた日本女性が何人かおります。よく知られているのが、日本軍スパイ活動にかかわり処刑された川島芳子(清朝の粛親王の14皇女で日本人川島浪速の養女となる)と満州の李香蘭(山口淑子)でしょう。それに加えなければならないのが、上海のフランス租界、米英租界で国籍不詳のダンサーとして華々しく上海社交界を席巻したミステリアスなManuelaであります。

いずれも、激動の近代世界史の中で逞しく生きた女性たちであります。というわけで、Manuelaというのは実在する紛れもない日本人ダンサーの名前なのです。

1999年1月パルコ劇場にて「マヌエラ」<燃える上海 恋する女>が上演されました。天海祐希が戦争前夜から、上海の租界と呼ばれる外国人の居留地で活躍した日本人ダンサー”マヌエラ”を演じました。

2001年6月には、和田妙子著「上海ラプソディー 〜伝説の舞姫マヌエラ自伝〜」がWACから出版されました。1911年朝鮮忠清南道生まれの和田妙子という女性が「舞姫マヌエラ」その人であります。50年も60年も経ってから、マヌエラを題材にした演劇や香港映画などが作られています。

西木正明著「ルーズベルトの刺客」新潮社(1991)でも、マヌエラのことが詳しく書かれています。

さて、この和田妙子さんが戦後引き上げてきて、内幸町に”Manuela”という戦後初のナイトクラブを開店したのですが、各界の著名人らが集まる東京の社交界で知らぬものはいない存在となりました。また、マヌエラはジョージ川口、マーサ三宅ら戦後のジャズ・ミュージシャンたちが巣立った登竜門だったそうです。現在は、90歳をこす高齢ですが若々しい女性です。最近では「徹子の部屋」にも出演されております。

2007年5月18日にお亡くなりになりました。(2007/5)


この由緒ある"Manuela"の名前の使用許可を和田さんからいただいたのは帝国ホテルの犬丸さんでした。そして、赤坂見附の一ツ木通りに"Little MANUELA" が出来ました。リトル・マヌエラが開店してまもなく、マヌエラさん(和田妙子さん)がお店にお見えになったことがあります。

このように、マヌエラという名前はきな臭い大戦前夜時代に源を発しているもので、戦前から戦後へかけての激動の時代背景と日本におけるジャズの歴史と深く係わり合いがあるのです。

そのマヌエラさんが02/07/13にリトル・マヌエラに元気な姿を見せられました。その様子は「マヌエラさんを迎えて」をご覧ください。

2003年9月21日(日)のお昼、日本テレビで、90歳、100歳になっても、矍鑠として若々しいお年寄りを紹介する番組で、マヌエラさんが取り上げられました。

マヌエラさんについては2,30分ばかりのドキュメンタリー番組に仕立てられておりました。

その冒頭で、出てきたのが本ページの書き出しの2パラグラフです。このページを読んでいた方は気がつかれたようです。Webmasterまで、そのことを知らせてきたマヌエラ常連もおります。

マヌエラ常連にもかかわらず、本サイトを知らない人もたくさん、知っていても見てない方もたくさんいるわけです。

世の中って不思議なもので、忙しい方ほど見ていてくれるのです。暇な方はめったに見ていないのだそうです。

ついでといってなんですが、日本テレビに提案します。日本版ブエナ・ビスタ・クラブを作ってほしいです。笈田さんも向こう側の人となってしまいました。ぐずぐずしていると誰もいなくなってしまいます。(2003.9.21)


2003年10月28日の日本経済新聞の岩城宏之(指揮者)の「私の履歴書」を読んでいた方が多いので驚きです。さすがに実業界の方は毎日、日経新聞に目を通しているのです。すぐさま、マヌエラではお馴染みのオージーサンズの栗本滋雄さんからの知らせがありました。

そうしていたら掲示板にもこの話題が書き込まれているのです。皆さん、マヌエラさんやリトル・マヌエラのことに関心がある証拠です。会社でサラリーマンが「失楽園」の夢中になって読んでいたのは何年前のことだったのでしょうか。(2003.11.1)

小島正雄追悼文集  
2006年6月13日、岩城宏之さんはここ数年がんで入退院を繰り返していましたが、73歳で亡くなりました。