マヌエラさんリトル・マヌエラに
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2002年7月13日(土)にリトルマヌエラで「マヌエラさんを囲む会」が開かれました。90歳とは思えない若々しさは集まったマヌエラ常連をうならせました。左からマヌエラさん、この会のお膳立てをしてくださった犬丸一郎さん、そして店主の中田光雄です。 |
一人足りないマヌエラ・シスターズにマヌエラさんを加えてのコーラスはBei
Mir Bist Du Schoen。後ろで耳を傾けるはジャズ評論家の瀬川昌久さん。 |
当夜、集まった人々。みなさん、マヌエラでマヌエラさんに会えていい記念になったことと思います。この時、このサイトのウェブマスターはロンドンのヒースロー空港から日本に帰国するところでした。そこで、国際電話で声だけ参加をしたというわけです。ウェブマスターって誰かって?そりゃあ、wakaGのことですよ。 |
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その後日談です。中田はマヌエラさんに大変気に入られてしまいました。マヌエラさんは八王子の近くに住んでいらっしゃるのですが、マヌエラさんの著書を10冊持ってサインをもらいに行ったのです。 「ちょうどよいところに来てくれた。買い物に行きたいから連れて行ってくれ」というわけで、車で40分ばかりの八王子駅前のデパートに行くことになりました。不案内の場所なので駐車場もままならず、京王プラザホテルの駐車場(これは正解です)に入れてデパートに買い物です。「階段があります」だの何だの、90歳のおばあちゃんの手を引いて買い物の面倒を見たのです。買い物にはテレビ出演のギャラでもらったと思われる5,000円の商品券を使おうとしたのですが、消費税があるので5,250円、そこでもう一枚出すものの、おつりは現金ではもらえないとのこと。「マヌエラさん、現金を持って来てないんだよ」中田が250円の消費税を払いました。買い物が終わると、
そこで、デパートの最上階へ行くとお寿司屋だのなんだのが並んでいます。
と言いながら、入ったのはピザ屋さんでしたとさ。また、5,000円のチェックです。また、中田が払いました。面白いおばあちゃんです。 10月のマヌエラのパーティには、いいドレスを着て来るとのことです。マヌエラの中田はマヌエラ孝行をして来たのです。 さらにその後日談。また、本を10冊持ってサインをもらいに行くことになり電話をしたところ「今日の午後は取材があるので午前中に」ということで、中田は密かに「買い物に付き合わずにすむ」と安心して出かけましたとさ。 ◆ ◆ ◆ |
この「後日談」を読んで、ウェブマスターであるwakaGのところに、嬉しくてお便りを送ってくださった方が居ります。
九州の熊本City FM 791のパーソナリティ、森永節子さんです。毎週水曜日の「夕方フレンド」というのが彼女の番組です。「マヌエラの由来」のマヌエラさんのダンサー時代の写真のファイルは、森永さんが2002年3月に送ってくれたものです。彼女はマヌエラさんのことに詳しく、いろいろ古いことを調べては教えてくれました。 3月から4月にかけて、ご自分の番組でThe Oz Sonsのコーラスを何度も放送してしまったのです。その話をリンクしておきます。 2003年5月に、森永さんのHPが公開されました (今はない)。 ◆ ◆ ◆ さらにその後日談Part2
またまた、その後日談Part3 中田も車を止めて、中にハイって行ってびっくり。 |
海外出張のため「マヌエラさんを囲む会」に出席できなかった若Gはマヌエラ・パーティでの特別のツーショットです。 若Gはマヌエラさんの席まで行ってお話をしました。お隣の席の芝小路さんが席を立たれたので、そこに座ったのです。次から次へと60年以上前の上海時代、戦後の東京でのミュージシャン気質について話し出しました。昔は、どんな歌でもリクエストをすると、それに応えるのがミュージシャンの仕事という時代だという内容でした。昔のミュージシャンはそれだけ幅広く勉強をしていたということが言いたかったのでしょう。
と聞くと、
はい、”Perfidia”はラテンの名曲です。誰もが好きな曲ですよね。マヌエラさんは
と懐かしそうにしていました。90歳のおばあちゃんと話をしているとは決して思えませんでしたよ。 |
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